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考えてみたシリーズをやるには避けられない道でもある。
絵チャで書き流すには難しいので先にこっちに書いとく。

このブログを作る前から色々考えてたが

「キャラの生死は究極の自己陶酔の一種」

「親の求める幸せと子の目指す生き方は違う」

の二つが私にとって重要なのだと思う。


キャラの死というのは非常にデリケートな問題なので人によって意見が大きく違うこともたくさんあるだろう。

まずこの記事を読む前に念頭においてほしいのは、私のメイン5人全員ヤツガシラであるということ。

私のメインキャラである五高弟は全員死ぬことを考慮して作られている。これは負けが確定しているという意味ではなく、特鬼隊と戦うんだから死ぬ事だってあるということ。もっともこれはぴく妖初期の考えなので今は多少変化しているかも。そりゃ死なせたくないし。
ただ死も考慮することでキャラに思い入れもできた。いつかいなくなるかもしれないからこそ描くときはちゃんと描く、これは私にとって大きなプラスになった。

さて、前述のものについて考えていく。

・「キャラの生死は究極の自己陶酔の一種」

キャラの死を考えるというのは一種の快感なのだと思う。

どのような状況で自分のキャラがなんのために死んでいくか、ひたすらそれを突き詰めていく。

その過程はまさに自己陶酔だ。
「若い(キレイな)うちに死にたい」とかいってる人を見るとなんとなくわかるかな?あれも自己陶酔だと思う。
そして自己陶酔の中ほとんどの人は自分のキャラに「最高」の死に方を与えようとする(至高と言ってもいいかもしれない)。
簡単な例だと

「死ぬ直前に最強状態になってそのまま死ぬ」
とか
「愛する者を守るために力を使い果たし、愛する者にに抱かれて死ぬ」

という類のもの。自分のキャラを究極の状態で永遠に留めようとする行為。気持ちは痛いほどわかるがやり方によっては浅ましくも見える。
だが誰にも否定する権利は無い。自キャラが死ぬとすれば誰もが一度は考えてしまうことだ(捨てキャラを犬死させるのも同じ。結局自己陶酔)。それでキャラが終わるんだから。

だがキャラを絶対に殺したくないという人もいるだろう。そこで次の考えに移る。

・「親の求める幸せと子の目指す生き方は違う」

キャラは自分の子、または自分の一部という考えを持つ人は多い。私は後者だ。そんなキャラを殺すことなど出来ない、絶対にさせないという気持ちはよくわかる。大事だもの。
だから親である描き手はキャラに相応しい状態を求める。

参加者から熱烈な支持を受け
数多のかわら版でびしばし登場
イベントや戦闘では大活躍
人気キャラと恋仲になり
動かすたびに大反響
企画のなかで常に注目を浴び続ける絶対的存在

となる。これが親の求める基本的な理想像だろう。別に現実と大差ない。
だがここで忘れやすいのは子には子の意思があるということだ。親の理想通りにだけ動くなら人形で事足りる。

不意にキャラが意外な行動を起こすという経験をしたことはないだろうか?私はしょっちゅうある。キャラが自発的に起こすこともあるし、イベントで人様のキャラと絡んだときに起こることも多い。
その行動によっては親の理想とは大きく離れることもあると思う。場合によっては死ぬかもしれない。だが例え死んだとしてもそれがキャラの信念や意思の結果なら親は受け入れるべきだ。
…そうなのか?うーん…まだ議論の余地は多い。死という言葉にとらわれすぎているのかも。

ここまで書いたが結論を出すのはまだ早いのかもしれない。
今回の記事をまとめると

・キャラの死は自己満足であることを認識すること
・親の理想ばかり押し付けずキャラの言動に気を配ること

などに注意すれば何か見えてくるかもしれない。難しい問題だ。
あと基本的な理想像を書いているとき磨宗さんが浮かんだ私は重症。

最後にもし自キャラが死ぬならどんな状況でそうなるか考えてみる。五人全員描いてもいいがここは代表者として掘祢。

掘祢は私のキャラの中ではもっとも死なせたくないキャラだ。一応女の子だし若いしこれからの成長におおいに期待できる。大決闘祭でも予想外にパワーアップしていった。
できるならこれからも理想の状態で成長していってほしいし幸せになってほしい。

*念のため言うが私は五高弟への思い入れはかなり平等だ 意外にも。

そんな掘祢が死ぬとすればどんな状況だろう?
答えは簡単。仲間が殺された時だ。
掘祢は意地と根性の塊だ。弔いのためならどんな不利な状況でも戦いに行く。単身特鬼本部に突っ込むことにもなんら迷わない。どんな傷を負おうが意識を失おうが死ぬまで動き続けるだろう。
これは親である私にも止めようがない。描かないことはできるがそれはぴく妖から引退することを意味する。
そして掘祢が死んだら作中の両親である豊穣夫妻はどうなるのだろう?考えたくもないことだ。

考えていたら気持ちが沈んできた。やっぱり死なせたくねえなぁ。

追記:
私はぴく妖に限ってだが「最終決戦で死ぬ」ということは絶対にやらないと決めている。
これは五高弟そのものがヤツガシラに対して忠誠が薄いのと、「最後だから」という理由で死なせるのに疑問を持っているから。
死なせる理由はなんであれ自分で決めますよ。せっかくの自己陶酔だから満喫しないとね。

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無題
私もこの手の話を考えさせられたので、じっくり読ませていただきました。
キャラの死は自己陶酔という言葉に納得・・・自分の子ではありますが、そうさせたいという願望は自分の欲求ですものね。自分の一部と考えるがたかさんに共感いたします。
色酉 URL 2008/10/21(Tue)20:31:22 編集
無題
コメントありがとうございます。
難しい問題ですよね。期限のない企画だからこそしっかり考えておかないとぐだぐだになってしまいそうなのでこれからもちょくちょく関連した記事を書いていこうと思います。
がたか 2008/10/28(Tue)12:24:08 編集
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